戦略と「人」

戦略と最も難しい「人」について

経営戦略で最も難しいのは人に関わる部分です。人に関する戦略をまとめました。

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アシックスの躍進の理由


法人コンサルにて、アシックスの躍進について意見を求められた際に使用した資料を公開します。かつて内部に居た私の視点での簡単なレポートです。


アシックスの歴史に興味のある方も居るのではないかと思いますので掲載いたします。

参考になれば幸いです。



1.アシックス初期

オニツカは1949年に創業。

創業者の鬼塚喜八郎氏は、戦後の日本で、少年たちに夢を与えたいと、青少年の育成とスポーツの振興を目指し、運動靴の製造を開始。 


知り合いのきっかけで、バスケットボールシューズを作る事に。

よく止まるタコのようなソールを開発して話題になり、徐々に販売拡大。


鬼塚喜八郎氏は、オリンピックの全種目のシューズを提供することを目標にしており、年間数十足しか売れない完全な赤字の競技靴でも生産していました。


走り高跳びのスパイクで、左足踏切用と右足踏切用と別々に生産していたことに最初は驚きました。

運動ではありませんが、南極観測隊用のブーツも長年、神戸工場でていねいに手作りしていました。




.アシックス躍進のきっかけ

鬼塚会長は、プロモーション戦略でトップ選手にはかせる戦略を重視。

ご本人は「キリモミ戦法」とおっしゃっていた。


タイミングよく創業から15年後の1964年10月に、アジア初の東京オリンピックが開催


エチオピアのアベベ・ビキラ選手がオニツカのシューズを着用し、金メダルを獲得して大ニュースに。

この成功は、オニツカの技術力とブランド価値を世界に示す重要な出来事となった。



その後、1966年に三村仁司氏が入社

陸上出身の彼が、選手にカスタマイズする技術を発達させて、マラソン選手に履かせるように。


アベベ、フランクショーター(1972年のミュンヘンオリンピックで金メダル、1976年のモントリオールオリンピックで銀メダルを獲得)、瀬古利彦、高橋尚子(2000年のシドニーオリンピック女子マラソンで金メダル)、野口みずき(2004年のアテネオリンピックで金メダルを獲得)など


三村氏に靴を作って欲しくてアシックスを選ぶ選手が増加し、マラソンはもちろん、野球でも相当な人数がいた。

マラソンは箱根駅伝、野球は毎日TVで露出されるため、アシックスシューズの宣伝効果が高かった。



ちなみに、オニツカ株式会社は、1977年7月21日に商号を株式会社アシックスに変更。

同時に、スポーツウェア・用具メーカーの株式会社ジィティオおよびスポーツウェアメーカーのジェレンク株式会社と合併し、総合スポーツ用品メーカーとしての地位を確立しました。




3.アシックス世界への拡大

マラソンは、オリンピック以外の世界大会でも有名なブランドとなり、トップ選手から一般市民ランナーから拡大へ

世界中のマラソン大会のスポンサーを行うなどして、トップ選手から底辺に市場を拡大させていった。


一方、ヨーロッパを中心にファッション分野で「オニツカ」ブランドがヒット。

レトロファッションの波にも乗り流行。


ヨーロッパから日本に逆輸入する形で、ダサい運動靴のアシックスから、格好いいアシックスに変身。


現在では、世界中で一流ブランドとして認識され、セレブも履くシューズになり、高機能の競技とファッションが融合して現在の成功につながったと考えられます。



以上




ベストアソートコンサルティング株式会社

代表取締役 下山 浩幸

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