バスケでスターに⁈もう少しでスラダンに…
バスケでスターに⁈もう少しでスラダンに…
高校生の私のバスケ姿が格好良くてファンがたくさんいました(ちょっと言い過ぎ(笑))
高校は学区内の神奈川県立川和高校に入学
中学はやんちゃな生徒が多かったので、何をしでかすか分からない奴がたくさん居て、毎日ハラハラドキドキでした。
高校は成績優秀校のため「頭は良いが変わっている人」が多くて面白かったです。
ある友人は、顔は一度見ると忘れないという能力があり、その能力を活かして、世界史を歴史の人物の顔で暗記して、現役で早稲田に入っていました。
それ以外にも帰国子女を隠し続けていたのに、ある日留学生が来て、英語の先生より英語がうまくてバレたとか…
高校でも迷わずバスケ部に入りました。
私が入学した当時、10年前にバスケ部黄金期があり、全国大会で2位か3位だったらしく、めちゃくちゃ上手い人がコーチをしてくれたお陰で、高校ではかなり上達しました。
地区では最強クラスで、神奈川県内でも上位を目指せるチームでした。
当時の神奈川県内バスケ事情は、相模工業大付属がダントツ1位、松陽高校2位で、3位が混戦でした。
井上雄彦先生のバスケ漫画「スラムダンク」では、相模工業大付属が神奈川王者の海南付属、松陽はスラダンでは翔陽高校として登場しており、先生はこの時のバスケを見ていたと確信しています!
もう少し頑張って県の上位校になっていたら、私がスラダンに出ていたかも分かりません。
流川じゃなくて「下山」だったかも~(笑)
進学校でしたが、関東大会を目指していたレベルなので、練習は厳しかったです。
何よりも一番きつかったのは、「練習中は水を飲んではいけない」というルールです。
夏場の体育館は蒸し風呂状態。その中で走り続けるのです。
水を飲まなきゃ文字通り死にます。
コーチの目を盗んで、顔を洗うふりをして、水を飲みながら練習していました。
(水を飲んではいけないなんて、今なら大問題ですね!)
素晴らしいコーチとの出会いもあり、バスケが上達しました
太っちょでバカにされていた小学生の頃の面影はすっかり消えて、格好いいスポーツマンになれたのです!
(格好いいかどうかの真偽のほどはご想像にお任せします)
高校時代で忘れられない「伝説の試合」があります。
3年生最後のインターハイ予選、大きな体育館で大勢の観客が見守る中、ある強豪校との試合。
負けたら現役終了の緊迫した試合で、ノータイム逆転シュートを決めたのです!
多くの観客は相手チームが勝つと思っていたので「川和が逆転勝ちしちゃったよ〜」と騒然とした雰囲気になりました。
バスケ部の飲み会があると、いまだに後輩から「すごかった〜」「きゃーきゃー言われて、下さんすごかったですね〜」と言われるほど強烈なインパクトを残した伝説です。
しかし、同期から言われるのは、40分間中39分間もノータイムまで得点0で、「最後の一本だけ決めやがった」と今でも文句を言われる始末です。40年近く経ってもです…(笑)
色々な話がありますが、苦労を共にした部活の友人は一生の財産だと思います。
部活以外にもバスケの球技大会があって大人気種目でした。
球技大会のために、昼間はクラスのメンバーと毎日練習をする熱の入れよう。
大会当日は「何年何組が優勝するのか?」と学校中が盛り上がるような一大イベントでした。
応援にも熱が入り、私が負けてしまうと泣く女生徒もいたくらい注目を浴びていて、友達と青春をしていました。
(この頃、中村雅俊さんの青春ドラマが流行っていました。「海に向かって走ろう!」「夕日に向かって走れ!」という時代です。)
小学生時代、デブで馬鹿にされていた私は、バスケを死ぬ気で頑張ることで自分を変えることが出来ました。
バスケで活躍することで、自己肯定感や承認欲求が満たされ、今の私があるのもバスケットのお陰であると言っても過言ではありません。