どん底の浪人生活から世界へ飛び出す!
どん底の浪人生活から世界へ飛び出す!
どん底の浪人生活から日本を飛び出したお陰で、世界で戦えるようになりました。
バスケットで人気者になれましたが、良いことばかりではありませんでした。
バスケ中心の高校生活を送ったため大学受験は志望校に受かりませんでした。
地方の国立大学には受かりましたが、「希望大学ではない」とわがままを言って浪人させてもらいました。
両親に感謝しています。
しかし、「受験」「浪人」などは、勉強などしたことがない父親には全く理解されず、思春期も重なり、酒癖の悪い父とは一切話をしなくなりました。
浪人の1年間。
夜中まで勉強、模試の結果に一喜一憂するプレッシャーの続く、真っ暗な日々でした。
それでも何とか苦しい状況から抜け出して、中央大学理工学部精密機械工学科に入学することができました。
勉強も頑張りましたが、大学でもバスケを続けました。
春夏の合宿はきつい練習とビールケースを持ち込むようなキツイ飲み会でしたが、女子チームと合同練習もあり青春していました。
ちなみに、当時の中央大学の体育会系バスケ部には、一つ下にバスケ界のスター佐古賢一がプレーしていて全国優勝の黄金期でした。
(同じ大学ですが、理工学部の部活とはレベルが違い過ぎでした)
さらに余談ですが、俳優の阿部寛も同じ大学に居て、当時はメンズノンノでデビューしたばかり。
何度もエレベーターで一緒になったり、食堂とかで顔をみましたが、残念ながら友達にはなってないです。(まさか、こんなに有名になるなんて夢にも思いませんでしたから…)
友人との出会いでもう一度変わる
バスケと飲み会だけで大学生活が終わってしまえば、普通の大学生だったでしょう。
大学で一人の変人(変な友人)との出会いが私を変えました!
彼はとにかく行動派
私は頭で色々と考えるタイプで行動が遅い方でした。
例えばこんな感じです
「自転車で今度のバスケの合宿に行ったら面白いかな〜。でも、野辺山だと標高高いし1日じゃは知れないな。足を痛めたらバスケ合宿も影響する…」という私に対して
「おめえ、そんなこと言ってねえでやってみたら分かるんだよ!」こんな感じです。
で、どうなったか?と言いますと
彼と二人で野辺山まで自転車で行き、バスケ合宿にもちゃんと参加しました。
ある時は「アメリカをバスで横断したら面白そうだな〜。でも、ニューヨークとか超怖いし、バスって貧乏人の移動手段で危ないなあ」とつぶやくと
「行きゃ分かるんだよ!」って感じです。
彼の行動重視の姿勢に背中を思いっきり押され(いや、ぶん殴られ)自分を変えることが出来ました。
デブ=>スポーツマン=>世界的に行動出来る人
世界へ飛び出す!
私の大学時代(1990年前後)は、バックパック一つ担いで世界中を旅するバックパッカーが流行していました。
建築事務所のアルバイトで貯めたお金で、春休みの長期休暇に海外へ飛びました。
・アメリカをバスで横断(NY~フロリダ~ニューオーリンズ~サンフランシスコ~LA)
・ネパールトレッキング
・ニュージーランドトレッキング
いずれも1か月〜2か月の貧乏旅行です。
バイトでお金を貯めたとは言え、長期の旅なので、しっかりご飯を食べるお金がありませんでした。
バスの中でポテチとコーラで一日の食事を済ますことも多かったです。
(この影響か?50歳を過ぎてもポテチはやめられません…)
旅先で様々な国の人と知り合い、色々な人と交流して、本当に楽しい経験でした。
旅先で出会った沢山の人にもお世話になりました!
この旅の経験から世界に出ても引け目に感じることがなくなり堂々と出来るようになりました。
社会人になって外国人と仕事をしたり、海外出張をしたりしても、一切引かずに交渉ができたのは、この時の経験が大きいです。
バスケットと旅は、ビジネスで成功する土台を作ってくれた欠かせない要素です。