本稿の目的は、株式会社アシックス(以下、ASICS)が直近数年間でどのように急成長を遂げ、国際的に競争力を持つ企業へと変貌したのかを明らかにすることである。
レポートの枠組みとしては、マッキンゼー7Sモデルを用いて、戦略・組織・システム・理念・スタイル・人材・スキルの観点から総合的に分析する。
結論から言えば、ASICSは創業者・鬼塚喜八郎が築いた「理念主導型企業」から、尾山基体制を契機に変化を始め、廣田康人体制において「効率経営型企業」へと完全に転換した。その結果、外形的には創業理念を保持しているものの、実態としては効率化とデータ主導を優先する企業へと進化している。
鬼塚は「健全な身体に健全な精神を」という理念を掲げ、スポーツ文化全体を支えることを使命とした。採算を度外視して全競技を支援し、青少年育成のためにスクール事業も展開した。
理念型経営の典型であり、社員の誇りを生み出し、戦後の日本のスポーツ文化を形成する企業であった。
2008年に社長に就任した尾山は、商社出身というビジネス感覚に優れた能力を活かし、外資的な視点を取り入れ、グローバル展開を推進した。
海外売上比率を高める一方で、世界で闘うためには従来型ビジネスモデルの限界が見え始めていた。
外部人材の積極登用という変化の端緒はこの時期に始まった。
2018年に社長に就任した廣田は、ITおよび総合商社出身らしく、徹底した数字主導の経営を導入した。
鬼塚以来の理念型経営を断ち切り、在庫効率化・デジタルプラットフォーム戦略・ランニングシューズ集中を実施。2025年時点で利益率14.7%という業界トップ水準を実現した。
外見上は創業理念を保持しつつも「効率化企業」へと変化している。
鬼塚氏の健全な青少年を育てる、スポーツ文化に貢献するという理念よりも、不採算事業を切り捨て効率を上げる手法は、世界で闘うために必要な戦略だと考えられる。
ASICSが長年直面した最大の課題は「在庫」であった。生産した商品が売り切れず、返品や値下げ販売に追い込まれることで、利益を大幅に失っていた。
これはアシックスだけの問題ではなく、シューズやアパレルビジネスではどの企業も抱えている構造的な問題である。特に靴はサイズが多いため、回避できない問題となっている。
廣田体制下では、グローバルERP、AI需要予測、直販(DTC)戦略が導入され、在庫回転率は改善し、廃棄・返品コストは大幅に削減された。これは利益率向上の最も大きな要因であり、理念型経営から効率型経営への転換点でもある。
集中戦略:高機能ランニングシューズに経営資源を集中。利益率改善を最優先。
在庫効率化:過剰在庫・返品・廃棄削減を柱とし、サプライチェーン全体をデータで統合管理。
DTCシフト:会員制プラットフォーム「OneASICS」や直営ECを中心とするDirect to Consumer戦略。
顧客データ戦略:Runkeeper・Race Roster買収などにより、顧客情報を世界規模で収集し活用。
グローバル統合型構造:ERP導入で世界規模の基幹システムを統合。
外部登用拡大:経営層・マネジメントに中途・外部人材を積極登用。
営業部門縮小:卸売依存から直販中心へのシフトで、営業部門を大幅削減。
現場と経営層の断絶:職人気質のプロパー社員と外部登用組の文化的ギャップが存在。
在庫・需要予測システム
・グローバルERPとBIダッシュボードでリアルタイム在庫管理。
・DIO(在庫回転日数)短縮を数値目標に設定。
DTC基盤(OneASICS)
・会員数1,930万人(2025年)、CDP導入で顧客データを一元化。
・ランニングイベント前後まで顧客接点を拡大。
AI活用
・ECでのパーソナライズ提案(Amazon Bedrock活用)。
・顧客LTV予測やフォーム解析をAIで強化。
成果
・業界トップクラスの利益率14.7%、DX銘柄に連続選定。
公式理念(ASICSスピリット)
・「健全な身体に健全な精神を」創業哲学は維持。
・Vision2030:「誰もが一生涯スポーツに関わる世界の実現」。
実態
・スクール事業撤退、全競技支援の縮小 → 鬼塚喜八郎時代の理念は形骸化。
・共有価値観は「利益率重視」へシフト。理念と現場のモチベーションに乖離あり。
現経営層:数字主導・合理性重視(IT出身社長によるデータドリブン経営)。
尾山体制時代:外部登用を進めるが「好き嫌いによる人事」など短期的で不安定。
鬼塚創業者時代:理念主導・スポーツ文化重視。
→ 時代ごとに大きく揺れ動いており、現在は「グローバルで勝つための収益重視型」。
若手育成:現体制では海外派遣など積極的。
中途登用増加:ヘッドハンティングや転職者が増え、プロパー比率低下。
古参社員の減少:鬼塚会長を知る世代はほぼ消滅。
→ 人材開発制度自体は充実しているが、文化継承の断絶が生じている。
コア強み:高機能ランニングシューズのR&D(依然として優位性)。
アパレル:動作解析やスポーツ工学研究所の知見を反映できるが模倣されやすい。
用具:外注依存で独自性なし。
デジタル:ランニング関連アプリ・プラットフォーム買収により顧客データを蓄積し活用へ。
→ デジタル領域での差別化スキルが新たな強み。
かつてはシューズ産業における参入障壁は非常に高かった。しかし近年は台湾・中国工場の技術力向上により、ブランド側に高度な技術者がいなくとも高品質なシューズを生産可能となった。その結果、OnやSalomonのような新興ブランドが急成長している。
このことは、従来「技術力」が競争優位を担保していた産業構造が変化し、「ブランド力」「マーケティング力」がより重要となったことを意味している。
ASICSの理念と実態は大きく乖離している。
理念:創業者の掲げた「全競技支援」「青少年育成」。
実態:収益性を第一とする「集中と効率化」。
この変化は企業の評価軸が「理念の実現」から「利益率の最大化」へと移行したことを意味する。
理念を重視する従業員や消費者から見れば違和感が生じるが、投資家や株主から見れば極めて合理的であり、株価や財務数値には成果が現れている。
ASICSは、鬼塚喜八郎の理念型経営から、尾山体制を経て廣田体制で完成した「効率経営型企業」である。
強み:在庫効率化、データ活用、DTC戦略により短期的には業界トップの収益性。
課題:理念喪失、文化的継承の断絶、新興ブランドとの競争激化。
展望:短期〜中期(5〜10年)は成長が続くが、ブランド疲労や技術コモディティ化への対応が次の課題。
結論として、ASICSは外見上は創業理念を保持しながら、内部では全く異なる効率経営型の企業へと変貌した。
現在のASICSは、理念型企業ではなく、応援に値する「効率的かつ収益性の高い企業」として新たな姿を提示している。
2025年8月22日 文責 下山浩幸ーベストアソートコンサルティング株式会社 代表取締役
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